詳細設定 企画エントリーシート+  ※他製作者様のキャラクターの名前を、勝手に何人か使わせてもらっております。あくまで国巣個人の妄想設定ですので、   どうぞお許しあれ。 ・人物     詳しい人物像は第二次聖板戦争でのデータを参照。   とある強力な妖術師と交戦し、敗北して死亡した魔術師・フォーゲン=ジャーメインの成れの果て。   彼の能力と知識を惜しんだある死霊魔術師により、死後亡霊としてこの世に留め置かれた。   生前と比してその力を大きく減じたものの、それなりの力を持つ存在として利用価値を見出され、魔術組織『霊長総軍』入り。   現在は組織の中堅幹部として使われている。この屈辱に甘んじているのは偏に、己を殺害した術師に対する復讐の機会を得んが為。   それまではなんとしても現世から離れる訳にはいかないと、耐え忍ぶ日々である。   第四次聖板戦争では組織から命じられた複数の任務をこなすべく、私立銀星高校に潜伏。   3年3組担当の無気力教師・鳥塚正に憑依し、その生徒たちを魔術で精神操作し情報収集に当たらせている。 生前自らの能力に過剰な自信を抱き、人類を救うのは自分以外にない…とまで高い理想を追い求め続けたフォーゲン。   魔術実験で多数の者の命を犠牲にしたのも、それが必要な尊い犠牲と信じていたので良心の呵責などなかった。   だが結局のところ彼は志半ばで死亡し、たんなる大量殺人者となってしまった。その慟哭は深く、狂気の域に落ちている。   結果、あれほど蔑んでいたエゴイズムに囚われた怨霊となり、復讐の一念だけでみっともなくも存在している。   自業自得の末路であるが、哀れといえば哀れ。   余談ながら、彼が現在憑依している高校教師・鳥塚は無気力を絵に描いたような人物。なんの目標も無く、親の言うまま教師となり、   ただ漫然と日々を生きているだけの男。それゆえ意志薄弱で自我が脆く、取りつきやすかったようである。   その人生はフォーゲンとは真逆のものであり、こんな人間が存在していたのかとフォーゲンが驚きすら感じほど。 ・方針(聖板戦争での立ち回り方)   基本は『万霊の筆』の中級エージェントとして下級構成員を統率し、聖板戦争を滞りなく運営するのが任務。   しかし戦争が進むにつれ様々な敵対勢力が跋扈しはじめ、仕方無くそれらへの対処に忙殺されることとなる。   彼は自らを殺害した妖術師に深い恨みを抱いているが、これとは別に、かつて一戦交え深手を負わされた中東の魔術師一族・エルゲン家にも恨みを抱いている。   今回の聖板戦争に彼らが参加する…という噂を聞きつけ、密かに復讐を企んでいる。 銀星高校の生徒である金山朋子、蒔崎公、朝暮斎、藤八水、山城恵の特異性に興味を持ち、ゆくゆくは精神操作して手駒にしようと目論んでいる。   それぞれの特殊な力、状況(山城恵の時間ループも)もある程度掴んでいるようだ。八水が霊長総軍のエージェントだった頃は彼の上司だった。   八水は教師・鳥塚正としての姿しか知らず、本体がフォーゲンである事を知らない。忍者である彼に秘密裏に調べさせて金山朋子、朝暮斎の異能を知り、   超身体能力を持つ蒔崎公にも関心を寄せている。 ・戦闘スタイル(強み・弱点含む)   精神干渉系魔術を多用。精神に直接衝撃を与えるマインドブラスト、洗脳、あるいは操った一般人をバーサーカーのように狂化させ、   相手を襲わせるなどの攻撃手段がある。が、残念ながらこれらのいずれもサーヴァントを打倒できるほどのものではない。   むしろ味方の魔術を『拡大』して複数対象を攻撃させたり、精神賦活の術で鼓舞したりと援護的な行動に向いている。   なお霊体ではあるがさして強力な怨霊ではなく、エナジードレインの類はまだ微弱な力で役に立たない。 そんなフォーゲンではあるが、切り札の陣形魔術はさすがの威力を誇り、まともに食らえばサーヴァントとて危険である。 ・戦闘時相性の悪い相手・良い相手   意志薄弱、知能の低い相手は精神干渉魔術のかっこうの餌食であり組しやすい。   相性が悪いのは対霊体攻撃の術を備えている聖堂教会の代行者たちなどである。   その他、降霊術などの使い手なども相性が悪い。  ・性格的に相性の悪い相手・よい相手   世を拗ねた怨霊であるため、性格的に相性のよい相手はほとんどいない。   しかしアヴェンジャーのクラスのサーヴァントは、自身と同様に負の怨念を纏っているので気が合う。   特に第二次聖板戦争において舞台となった江板市住民の多くを死に追いやったため、その悪行を知る参加者と遭遇すれば戦闘にまで及ぶ可能性もある。 ・サーヴァントについてどう思っているか   組織から与えられた駒に過ぎず、ただの道具としか見ていない。 ・聖板にかける願望   聖板の力を以ってしても死者の蘇生はできないだろうと観念。今回は願望無し。   ・セリフ 『 おぉぉおおのれぇぇぇこの恨みぃぃぃいい晴らさでおくべきかぁぁぁあぁぁあ 』  『 積み重なる骨の上に大衆の幸福は立ち、流される血の河が万民の渇きを癒す。真実はこぼれ出た臓物の中にある 』  『 むふふ。人を驚かすのが、これほどに楽しいことだったとはのう…。まさに愉悦♪ 』  『 あー、授業をはじめるぞ。起立、礼、着席。』  『 知るがよい只人よ。天を地上へ引き下ろし、神無くしてバベルの塔を築けるのは、我を除いておらぬということを 』  『 このフォーゲンの知なくして、世界は、人は、いかでか在らん! 無念、我が死こそ世の終焉なり! 』  『 あれー!? なんか体がおかしいぞ? あーれー』(消滅) ・イラスト・小説などの二次創作使用の可否    おk ・その他自由スペース    序盤〜中盤にかけてのやられキャラです。前回より力がダウンしております。   うらめしやー    『起源』  滅私  『魔術系統』チベット系精神干渉魔術、配置魔術、強化魔術  『魔術属性』地  『魔術特性』拡大  『魔術回路』質:A 量:C -------------------《以下、おまけ設定》----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 【フォーゲンの略歴】    1862年、イギリスのイングランド、ウスターシャー州ウスターで魔道の血筋、名門ジャーメイン家の跡取りとして生まれる。  イギリスの魔術師に多いドルイドの家系ではなく、元々は東方から渡ってきた一族で、先祖は中央アジア人(西夏タングート)らしい。  この一年前にルドルフ・シュタイナーが誕生。日本では幕末の動乱期であり、同年代には新渡戸稲造、森鴎外などがいる。    長じてからは故郷を出てロンドンの時計塔に入学。この頃、冬木市にて第二次聖杯戦争が開催されている。  フォーゲンは日本の魔術師・遠坂永人の無我の境地による根源到達論を知り、大きく影響を受けたという。  その後は優秀な成績を納め、二十代も半ばにして時計塔の地相学科を新設し、講師に就任。  そこで家伝の秘法『魔術の対象範囲拡大』を研究し、大いに功績を挙げた。  しかし彼にとって、そんな成功は伝来の術式に多少手を加えたものに過ぎず、あまり意義のあるものとは思えなかった。  フォーゲンの内に秘めた真の目的は、根源への到達と人類の救済の両方を同時に行える手段の開発であった  人の苦しみの根幹は、肥大化した自我の暴走と弱体化した自我に生じる他者への恐れにある…これがフォーゲンの持論である。  また魔術師特有の強きに過ぎる自我がかえって根源への到達を阻み、一方で根源に到達した魔術師たちが帰ってこれないのは、巨大な情報量に埋もれて弱い自我が四散してしまうからである――とも考えた。  脆弱な自我や強すぎる自我は魔術師・一般人共に障害になるとし、フォーゲンはその強弱を魔術的に調節する事でこれらの問題を克服できると結論づけた。  以後は精神魔術の分野に深く傾倒し、その魔術の効果を確かめる為に、大規模な人体実験が可能な国家権力へと進んで身を売る。  三十代半ばで時計塔を辞し、政情不安なアフリカへと渡る。第二次ボーア戦争にてフォーゲンは連戦連敗のイギリス軍に従軍、  パールデベルグの戦いに参加し、魔術をもってイギリス軍を形勢逆転させる。これにより英軍魔術顧問の席を得たが、  収容所でボーア人捕虜を魔術実験に使い、多くを死なせてしまう。この責任からせっかく手に入れた地位を失ったフォーゲンは軍から離れ、  続いてドイツ軍に身を売る。その後も魔術を用い、マジ・マジ反乱や第一次世界大戦の裏で活躍。  しかし今度はアルメニア人大量虐殺に関与し、政治・戦争に進んで関わり人命を損なうフォーゲンを、  神秘の隠匿という点から好ましく思わない魔術協会はついに執行者を派遣。  敗れたフォーゲンは重傷を負いながらも、辛くも逃げ延びた。  追っ手から逃亡し各地を転々とする日々。そんな彼に接触してきたのは当時大きな隆盛となっていた共産主義者の革命家たちである。  彼らは資本主義国家の背後にいる一神教、その守り手である聖堂教会に対抗する為、魔術的な防衛手段を知るアドバイザーを探しており、フォーゲンはその一人に選ばれたのである。  それから長きに渡って彼は共産主義者、社会主義者を助け、革命が成功して後も、第二次大戦とその後に来た冷戦下の世界の影で暗躍し続けた。  一時はソビエト連邦のスターリンの傍らで魔術を振るい、その助けとなっていたという。大衆を意のままに操作しようとする権力者達にとって、  彼の得意とする大規模な精神操作系魔術の腕は、極めて有用なものだったのだ。    その後、スターリンの命令で東アジアに新たな共産国家を樹立すべく活動。紆余曲折あって姿を変え、桓貞夫の偽名で新たな国家・北東連共和国の要職についていた。  同国の基盤を成す全一思想の提唱者であり、この国で人民委員会委員、および全一思想青年大学初代学長を務め、裏では国家の最高魔術顧問としてその力を存分に振るうフォーゲン。  己の魔術の完成度を高める為、日々国民を使った人体実験に勤しんでいたが、完全に管理していたはずの国民がある日突然クーデターを起こす。  これを鎮圧しようと自ら赴くが、それがフォーゲンの命取りとなった…。     【フォーゲン経歴年表】 1862年、イギリスのイングランド、ウスターシャー州ウスターで生まれる。魔術師エドワード・タルボットはジャーメインの同族。     ドルイドの家系ではなく、元々は東方から渡ってきた一族で先祖は中央アジア人(西夏タングート)らしい。     ロンドン万国博覧会が開幕する。日本で寺田屋事件、生麦事件。     この一年前にルドルフ・シュタイナーが誕生。ほか同年代には新渡戸稲造、森鴎外、黒岩涙香など。     この二年前にアニー・オークレイ誕生。三年後に人斬り・岡田以蔵刑死。     アメリカで南北戦争激化、シモンズ牧師従軍。 1880年、18歳で故郷を出てロンドンの時計塔に入学。     エジソンが白熱電球特許を得る。ネチャーエフのアレクサンドル2世暗殺未遂事件。     フォーゲンは日本の魔術師・遠坂永人の無我到達論を知り、大きく影響を受ける。 1887年、25歳で時計塔に地相学科を設立し、講師になる(後にこの学科は全体基礎科に統合)。     ロンドンで血の日曜日事件。      1891年、ジョージ・アダムスキー誕生。フォーゲンとはまったく関係ない。 1898年、36歳で時計塔を辞して政情不安なアフリカへと渡る。     米西戦争勃発。キュリー夫妻がラジウムの発見。ロシア社会民主労働党結成。 1900年、第二次ボーア戦争にてフォーゲンはボーア軍の攻撃に連戦連敗のイギリス軍に従軍、ロバート・ベーデン=パウエル卿指揮下で     パールデベルグの戦いに参加。魔術をもってイギリス軍を形勢逆転させる。続いて英軍司令官のホレイショ・キッチナーのもとで     強制収容所を設立。12万人のボーア人を捕えて収容、そこでの魔術実験により2万人近くを死亡させる。     魔術実験は隠蔽したものの非人道的な行いであると国際社会からの非難が高まり、フォーゲンは得たばかりの職を失ってしまう。 1902年、第二次ボーア戦争終結。栄光ある孤立を方針としたイギリス政府から距離を置き、フォーゲンはモロッコに渡る。     フランス、スペイン、ドイツの間を巧みに行き来して自分を売り込む。最終的にはドイツに身をおく。 1905年、ドイツ領東アフリカ(現タンザニア)にてマジ・マジ反乱勃発。蛇神ボケロを崇拝するシャーマンのキンジキティレ・ングワレ     らが率いる使徒集団と魔術戦が展開される。薔薇十字団員や他国の流れ魔術師たちと交流を持つ。     彼らと共に呪術的アフリカ部族を信仰する神ごと複数全滅させる。 1908年、マジ・マジ反乱終結。この戦争で再びフォーゲンは敵や捕虜相手に魔術実験をを行い、数万規模の犠牲を出したと伝えられる。     以後、ヴィルヘルム2世の信頼を受けドイツ政財界で魔術を用いて暗躍する。フォーゲン46歳。 1914年、第一次世界大戦勃発。フォーゲンはオスマン帝国を対ロシアの壁にすべくドイツ政府の以来を受け、イスタンブールへ。     この数年以前から魔術協会より執行者が派遣、大規模な魔術行使を行うフォーゲンを魔術秘匿の見地から危険視。暗殺を試みる。     しかし幾たびも返り討ちに。 1915年、オスマン帝国軍元帥にしてドイツ人のオットー・リーマン・フォン・ザンデルスと共にダーダネルス防衛戦で活躍。     その後、ガリポリの戦いで英仏連合軍を撃退させる。翌年、フォーゲンはシリアの砂漠地帯の町デリゾールの収容所にて     アルメニア人大量虐殺に関与。 1917年、アラビアのロレンスらイギリス&アラブエジプト連合がオスマン軍を破り、連合国海軍はドイツ本国を海上封鎖     救援に向かおうとしたフォーゲンを、執行者の依頼を受けた中東の魔術師・エルゲン一族が襲撃。重症を負ったフォーゲンは逃亡。     ロシアでボリシェビキによる十月革命。 1918年、第一次世界大戦終結。フォーゲンはヨーロッパ各地を転々とし、ドイツへ移り住む。フォーゲン56歳。 1919年、共産主義政党による国際組織・コミンテルンがロシア政府によって発足。世界革命を掲げ、各国の革命運動を支援しはじめる。     しかし共産主義の根幹となる唯物論の拡大を懸念したキリスト教会は、内部の特務機関をもって共産主義者達を狩りたてる。     魔術に習熟した彼らに対抗する為、共産側は魔術のアドバイザーを求める。 1921年、以前から共産主義に興味を持ち、これを支持していたフォーゲンはドイツ共産党に接触。地区委員長のエルンスト・テールマンと親睦を深め、     彼と共にモスクワのコミンテルン会議に出席。そこでウラジミール・レーニンと出会い、知己を得る。     その魔術の力を世界革命に役立ててくれないか…と懇願され、これを快諾。 1924年、レーニン死去の報を聞いてモスクワに駆けつけ、ソ連共産党よりレーニンの棺を護衛する任務を任される。     そのままドイツ共産党を離籍し、屈強なロシア人青年に化け、フォルゲノフと改名してソ連共産党へと加入。     当時の連邦共産党書記長であるヨシフ・スターリンに面会し、魔術を見せてその腕を売り込む。     以後、その配下で政敵トロツキーらの失墜などに関わってゆく。 1927年、フォーゲンの大規模精神干渉魔術で大衆を煽動し、スターリンの名を高める事に一役買う。     また統合国家保安部上級特務少佐…すなわち秘密警察の職務に着任し辣腕を振るう。 1930年代、スターリンの下で引き続き秘密警察の職務に従事。二等国家保安委員に出世し、秘密政治課長の任につく。      精神操作魔術を多用して敵対勢力の大粛清を開始、これにより多くの党員や革命家が死亡。      天文学的な数の処刑に関与する。 1939〜41年、第二次世界大戦勃発。戦争は近代戦に移行し、歩兵よりも兵器が大きな位置を占めるものとなっていた。     この為、もはやフォーゲンの兵士を強化する陣形魔術の類は戦場で通用しなくなってしまっていた。     よって後方で兵達の精神賦活、鼓舞などを中心に行い、各地でドイツとの戦争に明け暮れる。フォーゲン77歳。 1942年、スターリングラードの戦いで低下するソ連軍の士気を魔術で鼓舞し、敵味方双方の屍の山を築く。 1945年、第二次世界大戦終了。フォーゲンはスターリンの命を受け、ソ連軍特別旅団に所属していた革命家・旭東正の補佐をし、     極東アジアに新たなる共産国家を樹立すべく奔走。またスターリンの国内プロパガンダにも協力し、国民の洗脳活動に励む。 1946年、ミハイル・カラシニコフが自動小銃AK−47の開発に成功。この頃、カラシニコフと知り合う。 1947年、ソ連の援助により北東連共和国樹立。東洋人の青年に外見を変え、名を桓貞夫と改める。     同国の魔術顧問に就任し、国家統制に尽力する。フォーゲン85歳。 1949年、モスクワ大学に留学して哲学博士号を取得。北東連共和国版の共産主義ともいうべき、全一思想を作り上げる。 1953年、スターリン死去。猜疑心の塊である彼が、多くの国家機密を知るフォーゲンを粛清対象としなかったのは、     魔術で精神操作されていたからである。 1965年、北東連共和国において、全一思想青年大学初代学長に就任。教鞭をとる。 1970年、北東連労働党中央委員会委員に就任。この頃からパレードやダンスなどの集団行動行事を指揮し、     祭典と偽って国民を魔術の実験台にするようになる。 2010年、北東連共和国にてクーデター勃発。このクーデターを影で操っていたテロ組織『 暦(カレンダー)』と抗争開始。     フォーゲンは暦の幹部、妖術師アルシャンクと交戦し死亡。その生涯を終える。享年148歳。     しかしとある死霊魔術師の力で、亡霊としてこの世に留まる事を許される。 201X年、フォーゲンを霊化した死霊魔術師、魔術組織『霊長総軍』に参入。フォーゲンも共に組織入りし、構成員となる。 201X年、第四次聖板戦争勃発。霊長総軍の一員として戦争の管理・運営に当たる。