「あまり妙な期待をされても困りますよ?
 僕はしがない街頭藝人だいどうげいにんですから」



■人物像


 一人称:僕
 二人称:貴方

 飄々として掴みどころのない、それでいてドライというか達観したような言動を取る男。
 その在り方はどこか仙人然としたものを思わせるが、一方で割りと俗っぽい。

 自称「大道芸人」(街頭藝人)。
 いわゆる“武”に対してはその精神性より実用性に重きを置いており、あくまで手段、商売道具と割り切っている。
 …もっと言うとこの「実用性」とはつまり「生活のたつきに成り得るか否か」という意味であり、「人を殺傷しうるか否か」ではない。
 これは正義や博愛の精神から生じるイズムではなく、単に彼が「人を殺傷しうる手段」としての“武”に見切りをつけているからである。
 (じゃあ「生活のたつき」に関しても微妙じゃね?という声が聞こえてきそうだが、残念なことに彼は“武”以外の生きる術を知らない。)

 恐ろしく気前の良い善人。
 頼まれたら断れない人。困ってる者を放って置けない人とも。
 縁談も断れずに4回も結婚する始末(一夫多妻ではなく、単に3回奥さんに先立たれたという話)。
 もっとも彼としては手当たり次第に助けようとする訳ではなく、不誠実な優柔不断行為はしないつもり。
 やるなら皆きちんと面倒を見るし、出来ないならビシャッと断る。
 ―他人から見ればキャパシティが大きすぎて、何でもやってくれる人だと思われがちだが。

 後世の自分の持ち上げ方というか異様な人気には「身に余る」と正直複雑な気分。


■戦闘スタイルと聖板戦争における方針


『方針・目的』

 そもそも聖板、願望器に対して明確な願いがない。「手に入ればまあ得ではあるな。どっちでもいいや」程度のもの。
 にもかかわらず召喚に応じたのは、単純に「お喚びが掛かったから」である。
 (前述の“頼まれたら断れない”、“困っている者を放って置けない”悪癖が出た模様。)

 よってよっぽど道理に合わない、道義に沿わない行為でない限りは気前良くマスターの指示に従うだろう。
 (そもそも助ける為に来たのだから助けなければ意味が分からない、とはアイドルの言。)
 マスター以外の困っている者に遭遇したら“一応”助けるか否か確認を得てから決める(結果はお察し。
 と言ってもマスター第一優先で考えているので、どうしても駄目と言われれば止めるし、マスターに害があるなら助けない)。
 
『戦闘時相性の良い相手・悪い相手』

 1対1の白兵戦を最も得意とする。
 相手にとっては中国武術を習得していない限りこちらの攻撃の実態がつかめず、下手をすると攻撃を受けていることにさえ気付けない。
 加えて宝具の開放によって空間を自由自在に踏み越えてくるため、生半可なことでは触ることさえ出来ないだろう。

 逆に言うと彼一人で対処できる人数・規模を超えた攻めには流石に打つ手がなく、防戦(というか逃げ)の一手となる。
 本当に個対個の白兵戦でしか実力を発揮できないサーヴァント。

 銃に対しては色々な意味でコンプレックス。なるだけ表には出さないが。

『性格的に相性の良い相手・悪い相手』

 彼の“人助け”の基準はその相手の善悪に限らず「困っている」事である。つまり理由があれば誰とでも協力するということである。
 ので平時においては都合のいい事この上ないのだろうが、件のようなバトルロイヤルにおいては、
 傍から見ると表面上は組みし易いようでも、その思惑が(実情がどうあれ)図りかねるきらいがある。


■マスターとの関係


 基本的には契約で結ばれるビジネス関係。
 とはいえ目下最優先の「頼まれた相手」「困っている人」であり、加えてマスターの状況はずいぶんと窮屈な状態であるように思われ、
 どうにか助けてやれないかと気を揉んでいる。


■台詞


 「メリットが無い?何言ってんですか、人助けは別腹でしょ。
 大体人助けと金儲けを同時にやろうってのがどだい無精な考えなんです」

 「申し訳ないが、僕は人が期待するようなイズムや哲学のようなものを“武”に対して持ち合わせてはいませんよ。
  そりゃ誇りぐらいはありますが、言ってしまえばそれは金細工師が自分の技術に対して持つような代物であって…」

 「強さが欲しいですか?
  なら銃把を握って、銃爪を弾きなさい。
  それが嫌なら銃後にでも立つが良い」


■イラスト、小説の二次創作使用


 ご自由にどうぞ。
 というか使っていただければ幸いです。