※真名が書いてあるので注意 『 日なたぼっこは最高だワン! 』 詳細設定 企画エントリーシート+ ・人物   ヘレニズム文化隆盛の時代、当時世の誰よりも生きることを誠実に考えようとした高徳の人物。   自分に厳しい掟を課し、それを実践することを通じて始めて人の徳は養われると説いた永遠の修行者でもある。   常々『 自由に勝るものはない 』と言っていたが、これは勝手放題・野生に生きる…という意味ではなく、   社会常識や慣習に縛られず、快楽や我欲に捉われず、理性にのみ耳を傾けて人間らしく生きようという事。   具体的には『 贅沢や立身出世を価値あるとする見方 』を退けることであり、 人間らしく生きる為にあえて犬の暮らしをする…という皮肉な態度は『 腐敗した社会に対する戦い 』を挑む戦士の鎧だったのである。   その戦いは主に政治・文化的指導者や金持ちなどの社会的に立身出世している人、名門を鼻にかけている人々、贅沢な暮らしをしている人々、   軟弱な人々、世間に流されて生きている人々に対しての批判という形で行われた。   …というのが史実上のディオゲネスの性格であり、サーヴァントであるディオゲネスの本質もまた根本は大きく変わらない。   しかしこうした彼の高潔で深遠な哲学思想は後世の大衆にはあまり理解されず、樽に住んでいた、犬のように生活していた、街中で自○行為に及んだ…   といった奇行ばかりが面白おかしく取り上げられ、それに影響されたのかサーヴァントのディオゲネスも   すっかり面白おかしいアホなキャラクターに成り果てている。   深く考えてるんだかなんだか良くわからない言動で周囲を振り回し、ワンワン吠えまくり、コロコロ樽を転がして遊び、日向ぼっこをする。   たまに意味不明な皮肉を思い出したように放つが誰も理解できない。可愛げこそあれ、ただの困ったオッサンである。   しかし、いざという時には自らの本質を思い出したように賢明な助言を発して仲間のピンチを救うこともある。   そんな不条理を絵に描いたようなサーヴァントであるディオゲネスだが、そのマスターである目取真だけは彼を偉大な師と崇め、心から尊敬している。 ・方針(聖板戦争での立ち回り方) ディオゲネスは基本ホームレスであるため、毎日あてどなく野良犬のようにただ暮らす彼自身には方針もなにもない。   世を皮肉るために犬になったのに、犬暮らしが長過ぎたせいかもう思考もほとんど犬である。   よって、御主人兼弟子である目取真と彼のチームメンバーにくっついて回るだけ。   そんな彼ではあるが、宝具による寝床の提供やニセ金作りのスキルは一文無しで平行世界へ移動してきた   目取真や小田吉法子らの窮地を、主に生活面から救う事となる。   また犬並みの嗅覚や第六感は危険の察知や追跡に向いており、これまたチームの窮地を幾度も救う事となる。   しかし戦争中盤、『 息を何分止めてられるか 』という遊びの最中にやり過ぎて窒息死。   この極めつけの奇行による珍妙な最期に仲間たちは呆然としたが、一人、目取真だけは師のいわんとした隠されたメッセージを汲み取り(勝手に思い込んで)   大号泣したという。ありがとう、偉大な師。古の賢者よ…あなたとの出会いに感謝いたします。  ・戦闘スタイル(強み・弱点含む) 日々をゴロゴロと自堕落に過ごしているように見えるが、生前にヘラクレス的生活法を実践していた為に心身共に鍛えられている。 具体的には夏の暑いときは熱い砂の上を転げ回り、寒い冬には雪の上を歩いたり、また雪をかぶった銅像を抱きかかえるなどしてである。   これらも人々の目にはいつもの奇行と映っただろうが、実は快楽に負けぬ強靭な精神と肉体を養う為の苦行・鍛錬の一環であった。   健全な魂は強き心と身体に宿る…というのは彼の密かな持論であり、それゆえ野良犬のようにたくましい。   戦いとなれば四足歩行による犬のような敏捷性で駆け回り、隙をついて引っかき、噛みつく。とても哲学者とは思えぬ獣の戦い方ではあるが、   樽アーマーの防御力なども相まって侮れぬ戦闘力をもっている。もちろん決定的な攻撃力には欠けるが、撹乱程度には大いに役立つ。   また樽転がしによる体当たり、樽をわざと踏んづけさせて相手の転倒を誘うなどのスタイルも相手を翻弄することだろう。   ふざけた見た目で侮ると、手痛いしっぺ返しを受けるは必定。 ・戦闘時相性の悪い相手・良い相手   哲学者なのに獣性を頼んだ攻撃法を仕掛けるディオゲネスではあるが、   さすがに自身を上回る獣性を持つ真の獣を前にしては尻尾を丸めてキャインキャインと逃げるより他ない。   彼の獣性はしょせん人間性との対立構造で作られたそのネガに過ぎず、その皮肉も獣には通じないからである。   よって出自が獣(魔獣、神獣、幻獣、UMA、怪獣、獣妖怪など)の相手には相性が悪い。   一方相手が人間であり王侯貴族や政治家や宗教家などの支配階級、富裕層、文化人などの社会的強者ならば…   彼の痛切な皮肉のこめられた牙をかわすのは容易ではない。  ・性格的に相性の悪い相手・よい相手   彼と共に聖板戦争を戦う同志には、その突拍子もない奇行の数々を受け入れる深き度量が求められる。   ここが彼とうまくやれるかどうかの分水嶺、生真面目な人間ならばディオゲネスのふざけた態度に怒りを現す事もあるだろう。   また生前の彼が批判的態度をとっていた相手、つまり戦闘時相性で列挙したような支配階級、富裕層、文化人相手には   キツイ噛みつきをお見舞いする可能性が高い。   他にもディオゲネスは仲が悪かったプラトンのように現実の実践性とは程遠い観念的・概念的な哲学思想や宗教を忌み嫌っていたため、   そういう相手の屁理屈には容赦なくその面体におしっこを引っ掛ける事だろう。  ・マスターとの関係 最初に召喚された時、マスターである目取真重雄は所持金銭の不足から極めて深刻な経済的危機に陥っていた。   のみならず以前に行われた第三次聖板戦争で起こった数々の悲劇の記憶が、その心に大きな陰を落とし込んでいた。    そんな精神的にも肉体的にも打ちのめされていた彼を、現れたディオゲネスは見事に救ったのである。   まず通貨偽造のスキルにより、違法ではあるがなんとか当座を凌げる分だけの資金を提供。   さらに宝具・天下の住人により何でもない街の公園を快適な寝床へと変え、疲労を回復。   その上、その以って回ったような意味有り気な哲学的言動の数々を勝手に良く解釈した目取真は   深く感銘を受け、悩み苦しんでいた闇に一筋の光明を見出すのである。   こうして目取真は勝手に立ち直り、第三次大戦で自らを導いてくれたかつてのサーヴァント・林黒児に続く   第二の師匠としてディオゲネスを慕うようになるのであった。   一方のディオゲネスも何かと自分に良くしてくれ、たまにボール遊びにつきあってくれる目取真に好感を持つ。   すっかり心を許し、一緒についていく事に決めたんだワン(もうほとんど犬じゃねーかこのオッサン)   かくして珍妙な師弟コンビの誕生と相成ったのである…。   ディオゲネスの奇行の数々を目取真はすべて好意的に受け取り、深い意味のある哲学的行為だと信じて疑わない。   彼に心酔するあまり、自身も真似てもらった樽を身にまとった生活をする様になった。 ・チームの仲間たちとの関係  ★目取真重雄 ⇒ マスター。上記参照。  ★小田吉法子 ⇒ 目取真と一緒に平行世界からやって来て、窮地に陥っていた彼女も一緒に救う。一時感謝はされるが、          ディオゲネスの薄汚れた外見と奇行の数々に呆れ果て、今では目取真とは逆にまったく軽蔑されている。  ★藤八水   ⇒ 英霊であるのだろうから、とそれなりに敬意は払われている。しかし奇行がまったく理解されず、          弟子の目取真と共に折にふれ激しいツッコミを八水から受けている。「なんやねん、このおもろいオッサン…。」  ★タイダー  ⇒ 何が気に食わないものか(たぶん怪しい風体)ディオゲネスはよく彼に吠えかかり、噛みつく。          タイダーはなんとか仲良くなろうと一生懸命エサをあげたり涙ぐましい努力をしているが、徒労に終わっている。  ★織田教長  ⇒ 特に仲が良いわけではないのだが、何かしら通じるところがあるのか時折無言で見つめあっている。          ディオゲネスは彼の虚栄心、その浅薄さを見抜き哀れんでいる…のかもしれない。  ★徳川家重  ⇒ アホ同士とても仲が良い。ディオゲネスは本来賢人であり、哲学的思考の涯てにたどり着いたアホさであるが、          片や家重は生っ粋のナチュラルボーンアホである。よく二人で泥んこ遊びや追いかけっこをして遊んでいる。  ★アニー   ⇒ やはり法子と同じくうら若き女性であるので、ディオゲネスの下品さや汚さにはいい加減辟易している。          しかし元来心優しい性格の彼女は、なんとか我慢して世話をしているのでそれなりに懐かれてはいるようだ。          だが泥だらけのまま飛びつかれたり、舐められたり、セクハラされたり、おしっこひっかけられたり…          さすがに堪忍袋の緒が切れて銃をブッ放す事もしばしば。 ・クロスオーバー的関係  ■動物系サーヴァント全般…仲良くなれそう。     ・聖板にかける願望   特にない。むしろ聖板は金と同じく欲望で人を狂わせる魔力を持つと警戒し、嫌う。   ・セリフ 『 いそがしい、いそがしい。わし、昼寝でいそがしい 』  『 おぬしも、いっしょにひなたぼっこぢゃ! 』  『 わんわん!くぅ〜ん。ハッハッ 』  『 琴は美しく鳴りこそすれ、知性も理性もなく聞くことも理解することもできない   善き言葉を語るより、まず善き行動をとるのぢゃ 』  『 お教えしよう。幸福とは、これぢゃシコシコ 』 ・イラスト・小説などの二次創作使用の可否   かまいません。 ・その他自由スペース     おおディオゲネス   かつてシノベの住人たりし人   樽を携え、襤褸をまとい   霞を糧としたるかの人は、今もはやその姿無し   かの人ある日 唇を歯に固く押しつけ   息を詰めて、天高く昇りたるなり   まことに汝、ゼウスの子にして   天の犬にてありければ  《ディオゲネスのエピソード(の、一部)》  @善意の味つけ   彼が貧しい農夫からもらったキャベツを河原で洗っていると、アテネに住む友人の哲学者が近くを通りかかった。彼の言うことには、  「君も私のように金持ちの友人とつきあえよ。そうすれば、もっとおいしいご馳走がもらえるよ」と忠告をした。   それに対し、ディオゲネスはこう答える。  「私にはこのキャベツが最高のご馳走だよ。なぜなら、このキャベツは私にこれをくれた人の善意で味付けされているからね。君の金持ちの友人の食卓のどんな調味料よりもこれがおいしいんだよ。」  Aディオゲネスの水袋   最も神に近き清貧とは、何も持たぬ事だ。そういうディオゲネスは小さな水を入れる皮袋しか持っていなかった。   しかしある日、子供が素手で水を掬っているのを見て、「おれは何という馬鹿者だったことか。おれは子供に大切なことを教えられた」と天を仰いだ。そして水袋をその場で捨てたのだという。  Bおーい人間よ!   彼が「おーい人間よ!」と呼びかけたので、大勢の人が集まってきたところ…彼は杖を振りかざし「俺が呼んだのは人間であってクズではない」と言った。   あるいは彼が公衆浴場から出てきた時、「人は多かったかい」と聞かれ「いいや」と答えたが、「混んでいたかい」と聞かれた時には「うん」と答えた。   オリュンピアから帰った時、大勢集まっていたかと聞かれて「ああ大勢だった、だけど人間はわずかしか居なかった」と答えた。  C神々のように人を支配できる   海賊に襲われ、クレタ島に連れていかれたディオゲネスはそこで奴隷として売り出された。そのとき奴隷商人が、「おまえは何ができるか」と質問すると、彼は胸を張って、「私は神々のように人を支配することができる」と答えた。   奴隷商人は驚いて、その真意を問いただした。ディオゲネスがいうには、人間はだれも何者かの奴隷になっている。とくに自分の欲望の奴隷になっている。欲望こそが人間の主人なのだ。欲望にあやつられて動く人間は、みんな奴隷である。   私もまた欲望を持っているが、欲望に支配されることはない。どうしてかといえば、私は欲望よりももっとすばらしいもの、もっと強力でよろこばしいもの、すなわち真理に従って生きる道を知っているからである。真理に従っているかぎり、私は私の主人である。そして私は神々のように幸福である。」   …と答え、それを聞いていた奴隷商人は只者ではない、とディオゲネスを買い、手厚くもてなした。  DディオゲネスVSプラトン   プラトンは国民を哲人王が支配すれば、国民は王の言うことをよくきいて素晴らしい国になると考えた。   ディオゲネスはこうしたプラトンの国家主義や貴族主義を嫌っていた。プラトンの家にいったとき、そこに敷いてあった絨毯を踏みつけて、 「俺はプラトンの虚飾を踏み付けているのだ」といった。   プラトンもディオゲネスを嫌っていた。そして彼を「狂ったソクラテス」と呼んだ。   またディオゲネスにとっては目の前にある世界がすべてであり、この世界をいかに善く生きるかが問題だったのに対し、プラトンは現実を超えた別の世界に理念的な存在の実在を考え、これを「イデア」と呼んだ。 このイデア論もディオゲネスは大いに批判し、「私には『机そのもの』(机の本質であるイデア)というものは見えない」と反論した。   またプラトンが「人間とは二本足の、羽のない動物である」と定義して好評を得ていた時、ディオゲネスは鶏の羽をむしりとって、それを提げてプラトンの教室に行き、「これがプラトンのいう人間だ」といった。   それ以来、プラトンの人間についての定義には「平たい爪をした」という語句が付け加えられた。  EディオゲネスVS征服王   ディオゲネスの生きた同じ時代、世界に一人の若き大英雄が現れる。その名はアレクサンダー大王、別名を征服王イスカンダル。   紀元前338年、ディオゲネス70歳の時、彼の住むアテナイの街を含むギリシャ連合軍は征服王率いるマケドニアに敗北。その後も反乱を起こしたが、結局は力でねじ伏せられてしまった。   王はアテネを征服したが、これを焼き滅ぼそうとはしなかった。いつの場合でも、恭順の意を示した人々には彼は寛容だった。ギリシャ人はたちまちアレキサンダーを偉大な王として迎え入れる。これまで悪口を言って敵対していた政治家や哲学者も、掌を返して彼を賛美しはじめた。   だが、ディオゲネスだけは違った。そうした中で、彼はあいかわらず樽の中で我関せずの気儘な生活を楽しんでいた。イスカンダルはこの風変わりで高名な哲学者が自分に会いに来るのを楽しみにしていたが、部下を何度さしむけても「わしは昼寝で忙しい」と言って動こうとしない。   仕方がないので、自分から会いに行くことにした。ディオゲネスは樽の近くで日向ぼっこをしていた。軍勢を引き連れてやってきたアレキサンダーを見ても、寝そべったまま居ずまいをただそうともしない。   さすがにムッときて「余は世に比類無き偉大な王、イスカンダルだ」と名乗ったところ、ディオゲネスは「わしは犬だ。犬のディオゲネスだ。ワンワン!」と答えた。「何故己を犬と呼ぶのか」とイスカンダルが尋ねると、ディオゲネスは答えた。  「物を与えてくれる人たちにはしっぽを振り、与えてくれない人たちには吠え立て、悪者どもには噛みつくからだ。」…と。この物言いを受けて、征服王はこの奇妙な老人に興味を持ち、さらに問い質す。  「聞け賢人よ。このギリシャは今、完全に余の掌中にある。アテネの人々は諸皆、余の姿を見ただけで震え上がる。そなたは余が怖くはないのか?」これに対してディオゲネスはこう返す。  「おぬしは善い人かね。それとも悪人かね」王はしばらく考えた後、  「…余は紛うことなき善人である。父ピリッポスよりたくましく生きる勇武の心を学び、師アリストテレスから善く生きることを学んだのだ」と答えた。するとすぐ様ディオゲネスも答える。  「わしは善人を恐れない。おぬしが善人だとしたら、おぬしを恐れる理由などない」   イスカンダルは老哲学者の言葉に感心した。ディオゲネスは相変わらず寝そべったままだったが、それをもはや無礼とも感じなかった。 「賢者よ、これまでの我が無礼な物言いの数々をお許しあれ。貴殿のごとき智者に会えたことを嬉しく思う。ついては礼をさせてもらいたい。何をお望みか。私に出来ることなら何でもさせていただこう」 「おお、それではひとつ頼み事がある。わしの前に立たないでくれんか。おぬしはわしから大きな楽しみを奪っている。わしの望みは日差しと昼寝だ。日の光を私に分けてくれないかね」   この無欲な答えを聞いたイスカンダルは呵呵大笑し、アテネで出会った尊敬できるただ一人の人…とまでディオゲネスを絶賛した。   続けてディオゲネスはこう言った。王などやめてその鎧を脱ぎ、ここで一緒に日向ぼっこをしないか―――と。   イスカンダルは一瞬さびしげな表情を浮かべた後、私が王として生まれたは神々に下された天命なり、それはできませぬ…と返した。しかしその後、  「だが生まれ変われるものなら、私はあなたに生まれ変わりたい。そうすれば私もきっとあなたのように長寿を全うし、平和でやすらかな生き方ができるでしょう」と答えてその場を去った。   言い伝えでは、ディオゲネスはイスカンダルと同じ日に死んだという。  Fディオゲネスの最期   ディオゲネスはそのシニカルで辛辣な傍若無人ぶりにもかかわらず、多くの人に愛された。晩年には彼の名声はギリシャ中に鳴り響いていたが、彼はその名声をなんとも思っていなかった。   自分の墓を作ることを許さず、野獣の餌食にしてもいいし、道端に投げ捨てておいてもいい。わずかの土をその上に盛っておけばそれでいい…と語って死んだという。   ある日小石につまずいて倒れたディオゲネスは死期を悟り、その場で自ら息を止めて窒息死したとも伝えられる。故郷の人々も彼を称えて青銅の像をつくり、そこに次のような詩句を刻んだそうな。   『 青銅も年月経てば老いるもの。されど、汝が誉れは、永久に朽ちることなからん 』 G公衆の面前で○○ニー   衝撃行為。多くは語らない。     -------------------《以下、おまけ設定》----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 《製作秘話》 外見のモデルは古いロリコンアニメ、吾妻ひでお原作の『 おちゃめ神物語コロコロポロン 』に登場するゼウス。 キャラ製作者である国巣は世代ではないのでアニメ自体を見たことは無いが、そのEDテーマが山本正之の名曲なので、 度々動画で視聴。ゆえに印象に残っていた。けっこう恥ずかしい歌詞とメロディなので聴かないほうがよい。