『にえをささげよ。
しからずばそなたがにえである。』
■ニクネヴィン/Nicnevin
―――――――――裁かれし魔女達の王
イングランド北部〜スコットランド低地地方に伝わる妖精伝承、妖精の国『エルフェイム』を統べる“妖精の女王”。
(エルフェイム=妖精(エルフ)の郷(ヘイム)の意)
バラード「妖精の騎士タム・リン」に登場する妖精の女王、といえば幾分か通じ易いだろうか。
エルフェイムの女王は数多の妖精、幽霊、魔女、そしていわゆる悪性精霊アンシーリーコート達を率いる邪悪なる大精霊、
魔女の太母として伝えられており、いわゆる一般に持たれるメルヘン・童話的なイメージの、善良で温厚な「妖精の女王」とは
対極に位置する存在である(ディズニーアニメ・シリーズの悪しき魔女“マレフィセント”が比較的近いイメージか)。
そのルーツはケルト神話のダーナ神族、ないしそれらが多種族との戦いに敗れ落ち延びた顛末の姿とされる“常若の国(ティル・ナ・ノーグ)”の
妖精達と言われている。より緊密な原形として挙げられるのは、スコットランド・ファイフ地方の異界の主「ゲア・カーリン」、
ないし糸紡ぎの古精霊「ハベトロット」等。これらの茫洋とした妖精の長のイメージが1つのカタチとして統合された存在こそが、
“エルフェイムの女王ニクネヴィン”なのだろう。
ケルトの神々が信奉される時代を皮切りに、スコットランドにおいては妖精を主に置いた信仰体系、民間伝承が根付いていた。
しかしながら時代は下り、キリスト教という一神教の宗教が世を席巻し民衆の倫理規範に深く浸透するようになると、
古くからの信仰・宗教は「異端」であり、「邪悪」であると、ヨーロッパ社会から次第に冷遇を受けるようになっていった。
民衆の「キリスト者に非ねば人に非ず」という風潮、「異教徒は迫害すべき悪魔の僕である」という流れが最高潮に達したある時代に、
彼らの煮詰まり切った社会意識はファナティックな勢いで文字通り燃え上がった。キリスト教史最大級の汚点――「魔女狩り」である。
実のところ「魔女狩り」という行いの多くは教会が主導したものではなく(むしろ教会は傍観的ですらあった)、その実態は
民衆が自らのコミュニティにおける“キリスト教社会”不適合者を「民間裁判」によって迫害、粛清する苛烈な村八分であったという。
スコットランドにおいてはキリスト教の台頭に伴い、相対的に「邪なるもの」として心象を悪化させられていった妖精という概念は、
民衆の「魔女狩り」を正当化する口実として利用され、ここにおいてスコットランド古来の妖精の権化「エルフェイムの女王」は、
裁かれるべき“魔女”達のいわば悪の旗印として人々に都合良く掲げられることとなったのである。
古来より人々はヒトの手に負えない不都合なもの、不条理なもの、理不尽なものを“ヒトではない何か”のせいにして「解決」を図ってきた。
精霊や神といったもの達はそうした“ヒトではない何か”がカタチを得たものといえる。
…特に妖精は時代が下り文明の発達した人間の生活になまじ密接に関わる分、より生々しくニンゲンの“眼を背けたいもの”が
そのあり方に反映されていたりする。
ニクネヴィンはそんなニンゲン達の後ろ暗い影の側面がいくつも折り重なってできたシロモノなのかもしれない。
■人物像
一人称:わらわ
二人称:そなた
まるで血の気の通わないような肌の色、宝石のような紅い瞳、悪戯な笑みを湛えた口角に、
色々な意味で非常識な装いを身に纏った少女のような何か。
「鈴の鳴るような声」という表現があるが、彼女の声はさしずめ鳥のさえずり、木々のざわめき、風のそよぎといった
自然が奏でる音が偶然ヒトの声として聞こえるかのような、覚束ない幻妙な響きを孕んでいる。
その気になれば常識的な姿形、振る舞いを装うことも出来はするが、わざわざそちらに合わせてやるつもりもないようだ。
ヒトの常識の範疇で捉えられない彼女は、そもそもニンゲンではない。
■聖板戦争における方針
妖精であり女王である彼女の動向は率直に言って気紛れ。加えて高慢。
極めて享楽的に他者に介入する。
彼女にとってニンゲンはいわば愛玩動物のごとき「心から愛でるべき生ける玩具」であり、その思いのカタチはどうあれ基本的には好意的である。
無体な干渉をして反応を愉しんだり、興が乗れば手を差し伸べもする。
無礼な振る舞いに怒りをあらわにしたり、にべもない手のひら返しにショックを受けもする。
ニンゲンというおもちゃに夢中なのだ。
ただしこのスタンスは自らの参戦目的を果たすための準備が整うまでのモラトリアム期間を堪能しているようなもので、
準備――“徴税”による魔力が十分に蓄えられてからは、極めて攻撃的、迫害的にその態度をガラリと変え、
危害を加え道具扱いし食い物とすることに躊躇いがなくなる。
とはいえ、そうまでして断行する彼女の目的も特別高尚なものではなく、結局はただのヒトに対する憂さ晴らしである。
ヒトに対する憂さ晴らし―――
都合よく妖精を裏切り、貶め、自身をまるで悪の権化の如く吹聴する軽薄さ、
天国、地獄などというあるかどうかも分からない死後の沙汰にすがりつき相争う浅ましさ、
何より自身の妖精郷を、妖精(じぶん)の信奉者達の怨霊でまみれさせたニンゲンの所業に彼女は業腹であり、
「そんなにニンゲンは地獄が作りたいのか。ならば望みどおり地獄を見せてやろうではないか」と、壮大な嫌がらせを仕掛けようとしているのである。
まあどちらの行動もニンゲンへの愛憎に突き動かされての行動であることには代わりがないのだが。
いわば同胞である他の妖精、幻想種に対しては自らへの協力を一応は求めはするが、妖精特有の奔放さやある種の孤高さを理解しているので、
あまり深追いも無理強いもしない。「命令」も緊急時(戦闘時)以外は控えるようにしている。
竜種に対しては恭しく振舞うものの、あくまで“自分が上である”という態度は覆さない。(例えるなら皇帝と有力な王侯貴族の立場関係という認識?)
■戦闘スタイル
専らヒトやらモノやらを片っ端から妖精に変えて自身の勢力にする。
この行動には最終宝具展開のための魔力徴収も兼ねているため、積極的に執り行う。
…見所のあるニンゲンには妖精能力だけを与えて恩を売ることを試みたり。
適宜“妖精郷”を展開することで、妖精郷内の全員を一度に妖精化し無力化できるので、事実上のバリア兼制圧兵器としても運用可能。
魔力消費がハンパなさそうだが。
基本的には配下の妖精に戦わせるが、相手次第でキャスター自身も空想具現化や妖精術、「火刑の炎」で応戦する。
要は最終宝具発動までの時間稼ぎが肝心なので、とにかく方々の戦況を引っ掻き回して膠着させることが
キャスターの打算的な意味での狙いと言える(そんな打算が本当にあるのかはともかく)。
■相性の良い相手・悪い相手
キャスターの妖精化は、パスの繋がった相手からの解呪によって解除できる。
よってマスターないしサーヴァントが解呪手段を有するペアは幾分か対策を取れるだろう。
また、幻想種に対する命令権は、たいていの幻想種…妖精化したニンゲンにも効力を発揮するが、
生物としては格上である竜種や、狂化によって自己制御能力を失ったバーサーカーに大しては効き辛い。
妖精化したニンゲンは元の素体のスペックをそのまま持っているので肉弾戦に堪えうるが、
元から彼女の配下である妖精は妖精術を除くときわめて脆弱である。
ある程度マンパワーのある手合いには直接相手をしなければならなくなるだろう。
「火刑の炎」に対しては、キリスト教関連の、サーヴァント級の回復手段を使わなければ回復が出来ない。
つまり聖人としての逸話を持つ英霊には要注意と言えよう。
(逆に言えばちょっとしたダメージ回復にも大魔法・宝具級の魔力消費を強いることが出来るということでもあるが。)
しいてメタな相性問題を挙げるならば、妖精ないし妖精郷そのものに干渉するような能力・礼装はキャスターにとってクリティカルである。
■台詞
『ぬれぎぬをやきすてよ。
いわれなきつみも、すくいなきさばきも、
わがくににはいっさいのようなきかせである』
『ゆめをみるもつたなきにんげん。
さればこそうとましく、またたまらなくあいくるしい―――』
『しするのちのさたさえひとをけおとすか。
ほねのずいはおろかたましいのえんしんまであさましきかみのひつじ。
てんのおうこくとやらもそなたらであふるるようではうつしよとなんらかわらぬことよ』(CV. 美輪明宏).
■イラスト、小説の二次創作使用
ご自由にどうぞ。
ひっどい厨スペックなので真ボス前の大ボスみたいな感じで?